各国・地域の著作権法

オーストラリア

1954年以前に没した著者の生前に公表されたすべての作品は、保護されていません。1955年以降に没した著者の期間は70年間です。

欧州連合

欧州連合域内における著作権保護期間の調和に関する指令 (英語) の主な目的は、EU加盟国のために著作権保護期間を死後70年で調和させることであって、この時点で死後50年となっている加盟国でパブリックドメインに入っていた作品の著作権の地位を回復することを含んでおり、2006/116/EC指令でより強固なものとされました。第5条は、パブリックドメインの音楽の版を尊重する独特の重要性についてのものであり、加盟国は「パブリックドメインにすでになっている作品の本文批評版と学術的な版」を出版後最大30年間保護してもよいと述べている(斜体を加えた)。第4条は、初版の日付から25年間出版されていなくて、当該の作品がその出版がなされた国の特定の法律の通りに「合法的に出版されて」いてることを規定していたならば、パブリックドメインの作品の出版社に著作権を認めている。

チェコ共和国

すべてのチェコ政府出版物はパブリックドメインです。アルティア社、オルビス社、SNKLHU、スプラフォンは1948年から1989年まで国家機関だったので、これらに明白な影響があります。Czech Republic copyright actをご覧ください。(ファイルは、チェコの著作社の権利の組織であるOSAがホストしています - リンク切れ)

英国

基本的な著作権は最後に没した著者の死後70年間です。無名の著者の出版物は出版から70年の著作権を享受します。出版されていなければ、創作から70年です。
イングランドは、「印刷上のアレンジ」に関して特別な法律があります(「印刷上のアレンジ」とは本質的には版の作り直しを意味します)。「印刷上のアレンジ」は、出版から25年間だけの著作権になります。[1] これは多くの、元はドイツでイングランドに移転した出版社 (たとえばオイレンブルク) に影響があります。

フランス

基本的な著作権は最後に没した著者の死後70年間です。無名の著者の出版物は出版から70年の著作権を享受します。出版されていなければ、創作から 70年です。「フランスのために死亡」した著者の場合、30年間追加されます (ジュアン・アランのように)。加えて、遺作の著作権は、出版の年から25年間です。[2][3]

ドイツ

基本的な著作権は最後に没した著者の死後70年間です。無名の著者の出版物は出版から70年の著作権を享受します。出版されていなければ、創作から70年です。遺作の最初の出版は、出版から25年だけ保護されます。
ドイツの著作権法70条に より、科学的な分析の結果 (すなわち、学術的、または本文批評版ないし原典版) として生み出された出版物ともいうべき、科学的出版物は、出版から25年間だけ保護されます。ですから、ドイツで1983年よりも前に出版されたこのよう な科学的出版物はすべて、パブリックドメインです。しかし、編曲、オーケストレーション、数字付き低音のリアリゼーション、それに解釈版は、フルに死後 70年の保護期間を享受します。

ハンガリー

  • 基本的な保護期間: 死後70年間
  • 遺作の出版物: 出版後25年間
参照: Liszt - Neue Liszt-Ausgabe

イタリア

  • 基本的な保護期間: 死後70年間
  • 学術的な版および本文批評版: 20年間 [4]
  • 州、県、市町村 (コムーネ)、アカデミー、公的文化組織ないし非営利的性格の私的法人に属する権利: 20年間

ポルトガル

ポルトガルの基本的な著作権期間は最後に没した著者の死後50年だけで (遺作作品の場合も同じです)、また、著者が特定されない場合、出版から50年間です。ポルトガルの著作権法は、翻訳、編曲、器楽編曲、脚色、映画化、そ れに、基本的には、どのような作品の変形にも別々の条項を留保していますが、これらの作品について明確に著作権保護を明示していません。(世界知的所有権機関の法文)

ロシア・ソ連

現行のロシアの著作権法は、きわめて複雑です (ウィキペディア英語版)。基本的に、1953年より前に没した著者の作品は、パブリックドメインです。一方、1953年以降に没した著者は、70年の保護を受けます。帝 政ロシアの法律はドイツのそれにとてもよく似ており、作品は死後50年間の著作権が保証されていました。しかし、ロシアは1888年のベルヌ条約に調印し ておらず、ロシアの作曲家の作品は、Jurgenson and Besselのようなロシアの出版社と西ヨーロッパのたとえばD. ラーターやボーテ・アンド・ボックやブライトコプフ・ウント・ヘルテルとの共同出版合意を通してのみ保護されました。
1917年の共産革命によって、この状況は徹底的に変化しました。ほかのすべての財産所有権の種類とともに個人の著作権は廃止されました。 この変化は、ロシアの作曲家の著作権の状況に大きな災いをもたらしました。プロコフィエフ、ラフマニノフ、ストラヴィンスキーのような西側にすんでいる作 曲家でさえ。ソビエトでも外国でも、すべての作品は、事実上ソ連の国家財産となったので、国外に住むソビエト国民の作品を含め、すべてのソビエトの作品は 西側諸国ではパブリックドメインと見なされました。ソビエトの著者の作品が西側の著作権の地位を確保するための条約に従うために、ついに1930年代にソ ビエト政府は出版後15年間の限られた期間を導入しました。しかし、ソ連国家は完全に生前没後の人々のすべての作品の出版をコントロールしました。ソビエ トの作曲家のオリジナル作品はいくつかの条約のおかげでソ連以外の場所で著作権の地位を与えられましたが、パブリックドメインの作品の版がソビエト国営出 版社のムズィカ社から発行されました。これらは国営企業の公務員によって作られ、著作権保持者 (ソ連) は1991年後半にその存在を終えたので、一般にパブリックドメインと考えられます。
参照: Liszt - Neue Liszt-Ausgabe

米国著作権法

1923年より前に出版された作品

基本的に、1923年より前に出版されたすべての作品は、米国ではパブリックドメインです。現在、西部諸州にのみ影響する第9巡回区合衆国控訴裁判 所の異例の判決をのぞけば、1923年より前に出版されたどの作品も、それがどこで最初に出版されたかにかかわらず米国内でパブリックドメインです。 参考: コーネル大学著作権センター

1923年から1963年までに出版された作品

米国では、もし、著作権が更新されておらず、また、作品が適切な著作権表示なしに出版されていれば、1923年から1963年までに 出版された米国の著者と所有者の作品はパブリックドメインです。現在、1950年より前に出版された作品の更新の状態を確認する唯一の方法は、米国著作権 局の記録に自分で公式の検索を処理するか、著作権局それ自身に有料で公式の検索を頼むかどちらかです。後期の記録は米国著作権局のウェブサイトでオンラインで見ることができます。このデータベースは1950年に最初の出版がされた作品の更新を含む1978年以降の記録だけが索引づけられています。1923年から1977年の音楽以外の記録はグーテンブルクプロジェクトに索引があります。

米国の1923年から1978年に出版された外国作品の著作権復権

米国外の作品で、この期間に米国法の更新規定を満たせなかった結果、いったんパブリックドメインとなった、いくつかの作品は、当該の作品がまだその 元の国でパブリックドメインでなかったならば、GATT/TRIPSの改正の規定 (1996年1月1日発効) によって著作権の地位が復活しました。1996年1月1日時点で元の国でパブリックドメインであった場合は、米国著作権の復権に当たりませんでした。ほか の場合は、米国著作権法が適用されます。より詳しくは、英語版ウィキペディアの記事をご覧ください。

米国政府の出版物

すべての米国政府の出版物はパブリックドメインです。

出典
http://imslp.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3

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